2017年9月30日土曜日

希望でJIMINを撃破せよ!

違うだろ! 「希望」とか「大望」っていらねーよ、 「天運」来いよ!
ってのはGAROの話ですが、
「希望」
という言葉が持つ意味、それを今回は考えてみたいと思います。

確かに日本には希望がない。 今でさえ、おじいちゃん・おばあちゃんが多いのに、これが、さらに進んでいくんですよ。 若者が減りーの、高齢者が増えーの、 相対的に労働者が減るものだから、気が付いたら有効求人倍率も増えていました。 別に景気がよくなったわけじゃありません。 会社なんか「若い子が来てくれんの? うそー、マジで!」みたいなノリですからね。 どうしてこうなった? 介護だって体力仕事だから、若くないとできませんよ。 だけど、若者がいないんだって…。

正直に言ってしまえば、これがこの国の絶望なのでしょうが、 少子高齢化が政治の責任だと思えない以上、何だかなあ…と、思います。 例えば、若者が多い国、パキスタンなんかだと30才未満のyoungマン&レディーが全体の6割を超えています。 逆に60才以上は1割未満しかいません。 まったくもって、別世界としか思えません。 しかも、人口が2億人近くいます。 こういう国の場合、希望がアルでしょう。 希望がなくとも、元気・熱気・やる気がみなぎっていることでしょう。

少子高齢化が政治の責任だと思えない。と、書きましたが 「保育園おちた。日本死ね」の例にもあるように、子育てしやすい環境を政治が支援することで、 幾ばくかの改善は可能であったとは思います。 そういう意味では政治や行政の責任は重いのかもしれません。 だけど、ある程度は…、という域を出ないと思うんです。 パキスタンとの人口比率を比べてください。 同じ世界の出来事とは思えません。 っていうか、地球の人口が増え続けているということは、若年世代が多いんですよね、ワールドワイドで考えると。 簡単に考えると、会社の人員を考えるとわかりやすいかと思います。 社員100人の会社が急成長して500人規模になりました。と、なれば大量に新卒を採ったんだろうな、っていう理屈と同じですからね。

ちなみに日本の人口が最大だったのは、2004年。 もう13年も前なんですね。 だけど、一方で我々は知っています。 生き物は増えすぎたら淘汰されるんだと。 人口が最大値を迎えた後、ゆるやかに減っていくことは必ずしも悲観することではありません。 人口をコントロールすることは、現代の人類にとって求められている要素でもあるのです。

ゆるやかな減少が100年も続けば、今度は反動でまた人口が増えることでしょう。 そのときまで、耐えるのです。 確かに今は夕暮れ時、黄昏の哀しみを私たちは受け入れなければならないのです。 この哀しみを希釈するためには、世界と融和するしかないのです。 移民の問題は世界で激しく議論されていますが、移民の受け入れはリスキーであるとともに、世界と融和する最適な方法なのかもしれません。 日本では移民? 何それ? という風潮ですが、アメリカやドイツを他人事のように見るってのは、ちょっとずれてやがるな…、と思うんです。 太平洋と日本海の間の狭い範囲でしか物事を語れないのであれば、そこに「希望」はやはりないのでしょう。

2017年8月31日木曜日

経済発展の最も簡単な結末

RPG で終盤になるころには、お金があり余ります。 味方の装備が充実しているので店売りの高級武具を買う必要もないし、 長期の遠征を支えるポーション的なアイテムを数百個買っても、たいして財布も傷みません。

これが中盤位だと、現状の武装よりいいものが店で売られているし、 それらを買いそろえるお金は圧倒的に不足しています。 ポーション的なアイテムだって、調子に乗って大量購入したときには、 残金が思いのほか減ってしまい焦ります。 お金の使い道に複数の選択肢があり、誰の武装をどう強化するのか? 今は我慢して資金を温存しておくか? いっそ、アレを売却してしまおうか? などなど 悩ましいのです。

だから余計に、終盤のお金余りを見て 「開発者バカじゃないの?」と思うわけですね。 少なくとも、ゲーム内における要素の一つが機能しなくなって、実質死んでしまうわけです。 お金の運用を考えて悩んでいた中盤の方が、ゲームとして面白いわけです。 これに対して、ソシャゲで用いられている課金方式は…、などと話を広げると収拾がつかなくなるのでそちらに論点は移りませんよ。

お金の運用を考えて悩んでいた中盤の方が、ゲームとして面白い…けど終盤はダメ、お金の価値が無くなってしまう。 だから、ゲームなんてものは現実に即していないカスカスなんだよ! と、考える御仁もおられるかもしれません…。 しかし、私はちょっと、この「終盤にお金が余るの法則」が現実世界に対する優秀な比喩、的を得た皮肉だと思えてきたのです。

少し、視点を変えてみましょう。RPG で物を売っている商店主たちは裏でつながっていて、各所のショップでの売り上げは 商店ギルドが一括管理しているとします。 ゲームが始まってすぐ、主人公たちの持ち金はたいていが貧弱であり、また稼ぎも少ないので、 商品は低額のものが少しずつ売れるだけです。 しかし、主人公たちの成長に伴って稼ぎも増えますので(より強いモンスターと戦う=獲得金が増える)、 売れる商品の質・量ともに向上していきます。 ギルドは潤い、冒険者の成長に微笑みながら祝杯をあげます。 しかし、悪夢の終盤。 主人公たちの稼ぎは中盤より増えているにもかかわらず、商品は売れなくなってしまいます。 もはや装備を一流のものに取り替えてしまった彼らは、店で高級武具を買うこともないのです。

落胆したギルドは、悪魔の計画を発動します。
「あいつら、やっちまおうぜ」
商店ギルドの謀略によって窮地に立たされた主人公たちは、怪物によって殺されました。 彼らの装備していた、高級一流武具は、店に転売されたり、洞窟の宝箱に移転されたりしました。 これでまた、新しい冒険者が旅立つフラグがたちます。 装備が貧弱な新しい冒険者は、お金を稼いで装備やアイテムをバンバン買ってくれることでしょう。 やったね。

道路を、鉄道を、家を、工場を、ビルを、作らなくてはならない。 そういう状況であれば、仕事が大量に発生するわけで、雇用も大量に発生します。 仕事をするためには、建設用資材や機器、車両などが大量に必要ですし、それらの生産・輸送・販売にも人が必要です。仕事と雇用が大量に発生します。 大量の仕事は大量の稼ぎとなって、仕事終わりの食事やビール、娯楽産業などにも使われます。 彼らは成長してより稼ぐようになって、街は発展し、地価は上昇。 労働者も笑いが止まりませんが、ブルジョワジーはもっと笑いが止まりません。 道路を、鉄道を、家を、工場を、ビルを、作らなくてはならない。 橋を、ダムを、自動車を、鉄塔を、作らなくてはならない。 こういう状況は本当に素晴らしいです。 しかし、アレが…。「終盤にお金が余るの法則」が容赦なくやってくるのです。 都市部では家やビルがびっしりで、道路を作るスペースがないし、 田舎ではスーパー農道とかけっこう作っちゃったしなあ…。 飛行場だって、狭い日本の国内に作れるだけ作ったし…。 それでも、作れというのならナンボでも作る余地はあるよ、ハッキリ言って。 だが、費用対効果が得られそうもない公共事業は今の時代、厳しいんだよなあ…。 必要なものを作る。必要なものが存在する間はそれでいいよ。しかし、問題はできあがってからさ。その後どうしよう…。

オリンピックは救世主ですよ。 大義名分、神の御旗、…ご威光として十分、これで堂々と建設に勤しむことができるべ。


終盤のお金余りを見て 「開発者バカじゃないの?」と思うわけですね。と、書きましたが、 これを解決するとどうなるでしょうか? 別にできないわけじゃあ、ないんです。 店売りにバカ高い最強の武器を置けばいいんだし、MP回復薬を割高に設定して「10個も買えば破産する」バランスにするとか…。 しかし、それでも根本的な解決には至らないのです。 なぜかって? 魔王が倒された時点で世界に平和が訪れて、武器・弾薬・防具・補給資材といった戦争特需な物品の必要性が薄れるからです。 それなら、ゲームをクリアする前の終盤にお金を派手に余らせて、
「もうすぐ戦争は終わる。武器を買いまくって、経済的に困窮する日々も終わるのだ」と、いう予感の中でラスダンに突入するのがいいのです。 だってそうでしょう。ラスダン突入前にお金余らせているときって 「もう人間が用意できる武装では、オレたちを強化することはできない。 そうさ、今ここに至ってカネで解決できることは何一つないのだ。 世俗的な貨幣に頼る凡人としてのステージは終わりを告げた。 ここから先は人知を超えた者どおしの対決だ。 いくぜ、最終決戦!」 と、いうカタルシスにウットリ、シビれるぅ…、んでしょう?

経済の発展にはモノを作ったり売ったりすることが欠かせません。 モノを作るには売れる素地がなければなりません。 つまり、足りない、いきわたっていない…という状況。 しかし、作れば作るほど飽和に近づいて需要がなくなっていくのがこの世の常。 まだ昔はよかったんですよ。 自動車が馬に成り代わったとして、馬界(馬飼い)の失業者は出たかもしれませんが、自動車産業が巨大なものですから新規に圧倒的な雇用を生み出した。 ところが、今、スマホがデジカメやウォークマンやプレイステーションに取って代わったとして、デジカメを作っている人々を圧迫するのみです。 じゃあ次は自動運転モービルの誕生ですか? そうなったら、職業ドライバーの雇用がなくなるだけなんだよなあ…。 資本主義が成熟してきて、「終盤にお金が余るの法則」になりつつあるのかも…。

2017年7月31日月曜日

まったく話題になっていない森友学園

以前、といっても今年の話ですが「話題の出来事の戦闘力を測定すっぞ」という記事を書きました。 そのとき、スーパーサイヤ人になる前の森友学園の戦闘力が、たったの 200 だったと書きました (戦闘力=月に何回、ググられたか?と考えてください)。 2016年8月は、月間でたったの 90 です。 2017年1月も、最低ではないものの、たったの 110 です。 この注目度の低さが、2017年2月9日朝刊で朝日新聞が国有地売却価格がおかしいぞ、と記事にするまでの実情です。 いったん報道されると、マスメディアは一斉攻撃を始め、市民は興味を持ちます。2月には 823,000回。3月には 224万回もネットで検索されています。 世間の関心が一気に向かったことが、よく分かります。 朝日新聞以前にスクープが一切なかったことは、2017年2月以前の月間検索数 100~200 という統計結果が物語っています。 「私が特ダネ見つけてやるぞ!」みたいな情熱のある記者が、(日本では)全滅寸前なんじゃないかと気になって仕方ありません。

Had you known, Moritomo ?

これって、まったく話題になっていなかったということですよね。 話題になりはじめたのは、国有地売却で問題になった今年の2月からです。 100~200件しか月間検索数を稼げなかった森友学園。 いったい、何をどうしたら大阪の豊中にあるこの一学園に、あの方たちは興味を持つのでしょうか? 教育勅語? いや、 それ以前に月間100~200件しか検索されていなかったということは、 かなりマニアックな世界に限定しても「まったく話題になっていなかった」結果だとしか思えません。 そう、スルーされるような存在だったのです。 一応、書いておきますが、話題になっていない=価値がない、そういうことを主張するつもりは毛頭ございません。 今は誰も気づいていないけれども、本当に尊い、素晴らしいモノなんだ、と! そういう、ゴッホ的なものが無数にあることを信じて疑いません。 あくまで、話題になっていないのなら、知りようがないじゃん、ということを言いたいだけです。 知る人ぞ知る名作、誰もが知っている駄作、どちらが良いのですか? 私が出版社の社長なら後者を目指します。 アレレ…?

以下、比較資料をクドクドと提示します。 これらは、2016年7月~2017年6月における、検索数の月間平均です。 話題性のあるものほど、たくさん検索されています。

学園シリーズと甲子園常連校

津曲学園 <500
駒澤学園 <500
駒沢学園 <500
堀越学園 10,000~20,000
報徳学園 10,000~20,000
早稲田実業 20,000~30,000
龍谷大平安 1,000~5,000
中京大中京 5,000~10,000

キン肉マン超人

ブロッケンJr 5,000~10,000
アシュラマン 5,000~10,000
ミキサー大帝 1,000~2,000
ステカセキング 1,000~2,000
バッファローマン 5,000~10,000

春ドラマ

緊急取調室 49,500
貴族探偵 201,000
小さな巨人 246,000
フランケンシュタインの恋 135,000

スタンド(洋バンド)

メタリカ 33,100
エニグマ 22,000
エアロスミス 22,000
グレイトフル デッド 6,600
レッド ホット チリ ペッパーズ 9,900

メタリカの "until it sleeps" はメロディアスでいい曲です。メタルが嫌いな人もぜひ、聴いてね。 って、なんの話だ。 つまり、話題になる前の「森友学園」は、ミキサー大帝やステカセキングよりも(ネット的には)注目度が低かったってことです。 多分、地元の人しか検索しなかったんじゃねえの? って思います。 どうやったら、そんな学校法人を見つけてくるんだよおおおおおお。 それこそが、闇なんじゃないですか。 恣意的、作為的に接点を作ろうとした(そして、成功した)人物・組織がいることは明白です。 もし、これが創作ミステリーなら、どうやって奥様と森友学園の関係が始まったのかを書かないことには、画竜点睛を欠く、というものでしょう。 マスコミも大阪の豊中にある「森友学園」ってところと総理の奥様が「関係深そうじゃあないか!」と、特ダネにしてくれてもよかったんですけどね。 一社すっぱ抜きで2017年2月より以前にね。 不気味なほど各社足並みをそろえている、と感じるのは私だけでしょうか?

2017年6月30日金曜日

クリボーは跳んではならない

もし、クリボーがジャンプするのであれば、 マリオは軽々にジャンプするわけにはいかない。 なぜなら、跳ねたクリボーに空中で接触して やられてしまう可能性があるからだ。 それでも、慎重にタイミングを合わせれば、 空中戦を制し、クリボーを踏みつけることに成功するだろう。

だが、不用意にジャンプすることに意義を見出せないことも事実。

むしろ、実践的な戦術はジャンプしたクリボーの下をダッシュで くぐりぬけることだ。 何も相手が望む空中戦に応じることはない。 まるで格ゲーによくある「下手にジャンプするな」みたいな理論。

だが、こういうゲーム性のマリオに魅力はあるのだろうか?
おろらく…ない。

こちらが一方的にジャンプできることで、空中戦を制する快感を得る。 不用意にジャンプ、気軽にジャンプ、ナニはなくともジャンプ、してくださいだぜ。 この安全とお気楽さと爽快感は、 プレイヤーに対する、いわば接待なのだ。

だが、それを露骨にやりすぎると プレイヤーに接待を感づかれてしまう。 そこで、ハンマーブロスの登場である。 飛び道具を使い、ジャンプしながらの投てきも行う難敵であり、 いつものジャンプで踏みつけることはできない。 しかし、こちらの持つ飛び道具、ファイアボールを使えば容易に抹殺できる。

この手のアクションゲームにおいて プレイヤーキャラと敵キャラはフェアである必要はない。 ストレスを感じずに敵を蹴散らす爽快感をー、与えなければならないからだ。

一方で格闘ゲームはフェアであることがゲーム性の基盤となる。 プレイヤーは登場する格闘家たちを任意に選ぶことができるのだから、敵も味方もあってないようなもの。 そりゃあもちろん、フェアでなくてはならない。 みんな同じように打撃、投げ、ガード、ジャンプができる。 リーチや威力、スピードで個々人の差があるといっても、根本的には同じである。 逆にマリオ的なアクションゲームでは敵とプレイヤーサイドの 隔たりは大きくなくてはならない。

プレイヤーキャラのみ一方的に銃による遠隔攻撃ができる。 そんなゲームデザインもお、面白いかもしれない。 しかし、一方的にプレイヤーキャラを強くするだけでは、 ゲーム性が損なわれる。 そこで、弱くてマヌケな敵どもを脅威にするために、敵に地の利を与えればいい。

穴もクリボーも同じく障害物。 奴ら、穴もクリボーもタッグを組んで襲い掛かってくる仲間なのだ。 穴は倒されることがない無敵キャラながら、プレイヤーを焦らせることはない。 穴を「いつ飛ぶか」はプレイヤー次第じゃあ、ないか。 一方のクリボーはマリオに倒されてしまう移動障害物であるが、 プレイヤーに行動するタイミングを強制する。 まさに静と動の黄金コンビである。 これが、アクションゲームの基本構造・基本要素である。 だから、自動スクロールのオート・ランなら「穴」という「静の障害物」だけで、ゲームが成立する。


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つまり、穴はアクション・ゲームにおける敵の代表格である。 よく「スペランカー」がちょっとした高さから落ちただけで死ぬじゃあ、ないか…。 と、言われるが、
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(穴に落ちたら)どうせみんな死ぬんだから、高さなんかどうでもいいじゃない!

と、いう製作者側の叫びが聞こえますね。 いちいち、転落死に納得できるくらいの高さを用意していたら…、マップを広く作らないといけないし、画面密度もスカスカになる。 容量が大きくなるのを食い止めることだって、できないじゃあ、ないか。 ただ、この省略行為は世間に受け入れられなかったじゃあ、ないか。 世間では何年たっても「スペランカー」の主人公はちょっとした高さから落ちただけでも死ぬじゃあ、ないか…。 と、言われている。

ゲームなんてツッコミどころは万歳である。 だが、何が許容されて、何が許されないのか、というあたりは全くもって予想できないものだろう。 運悪く、スペランカーのアレは許されなかった。 マリオが水中でファイアボールを発射するのはいいみたいだけど…。 硝石のような酸素化合物を用いることによって、水中での燃焼は可能というが(火薬の原理)、そういう設定なのだろうか?

この話は誰にでも書けるっていうものではない。 「穴のないアクションゲーム」を作ろうとした者だけが考えてしまう苦悩である。 なぜ、穴のない設計にしようとしたのか? スマホゲーの場合、誤操作がけっこうな頻度で発生する。 物理ボタンを持たないタッチパネル方式だと、「押したつもりが押していない」「押していないつもりが押している」と、認識される場合がある、かなりの頻度でぇぇぇぇぇぇ! 圧力を認識しているわけではなく、通電の有無で判断しているからだ。 この方式、激しい操作と正確な反応を要求するアクションゲームには不向きである。 だから、誤操作で穴に落ちて死亡、という理不尽だけは避けねばならぬ。 誤操作が発生しても、「満塁ホームラン」級のダメージではなく、「センターのエラーで二塁打」程度の痛手に抑えるべき。 取り返しがつく範囲のダメージに抑えるべきだ。 そう考えると「穴がない方がいい」と、判断するのは当然じゃあないか。

そして、穴のないアクションゲームを作ろとしたときに、 「敵がジャンプしない」だし「道中に穴や障害物がない」だし、だとゲームとして味気なさすぎるのです。 かといって、敵のジャンプを解禁すると、前述したように操作キャラがジャンプをするメリットが失われてしまう。 時代は変わっても、ジャンプはアクションの華である。 そのジャンプを気安く行えないゲームなんてものは、やっぱり味気ないぜ。

と、いうわけで「穴のないアクションゲーム」を作ろうとしたらちょっとした発明が必要だった。 どんな発明かって? もちろん、言えませんよ、今はね。

2017年5月31日水曜日

ついにわかったの!ドット絵の本当の意味が!

皆さまはドット絵、好きでしょうか? 好きかどうかはさておき、 ドット絵の定義、明確に言えますか?

ドット絵の定義? そんなのは、あーです。こーです。 きっとアナタは頭の中で瞬間的に持論を展開してくれたハズです。 そう、大雑把に言えば、アナタが今考えた内容で合っているのです…。大雑把に言えばね…。 ファミコンみたいな、1ドットずつ点を打って作った絵でしょ? そう考えたはずです。

じゃあ今度は「ドット絵 定義」みたいな感じで、ちょっとググってくださいな。 一つ、二つ、どんなものだと調べたうえでここに戻ってきてください。 めんどくさいな、もう。

定義というよりも?

いつもなら、駄ら駄ら長文を展開するのですが、今回はズバッと終わらせます。 ズバリ、ドット絵とは人間が色を管理しているかどうかを目安に考えるといいのです(持論)。

この絵はどうでしょうか? デッサンやデザインやキャラクター性ではなく、色味に注目してください。

この絵はどうですか? 

上の絵と下の絵を比べてください。どちらがクッキリしているでしょうか? 下の絵ですよね。 実は、上の絵は中間色が多用されており、にじんでいるんですね。瞳がわかりやすいかと思います。 また、背景と髪の毛の境界線、あごのラインなど(上の絵は)境目の線が全てにじんでいるのです。 つまり、背景の黒と髪の毛のピンクの間に、黒っぽいピンクが挟まっています。

64x64の8bit PNG ですが、上は 2.37KB 下は 1.47KB です。 これは、使用している色の数が少ない方が、容量が小さくなることを意味します。 ちなみに下をモノクロにしても、1.46KB でほとんど変わりません。

描画ツールには「ブラシ」と「鉛筆」があるかと思います。 ブラシは1dot~100dotみたいに線の太さを自在に変えられるので便利ですが、下地の色に影響を受けます。 つまり、絵の具でキャンバスに描くのに近いニュアンスになるんですね。 鉛筆は1点、1ドットずつを指定した色で塗ります(線は描けるが、面を塗るのには適さない)。下地の色は影響しません。 この鉛筆のみで絵を完成させれば、それは間違いなくドット絵です。 完全体のドット絵です。 ポイントは中間色やグラデーションが自然発生しないので、 作者が指定していない色は存在しないということです。 でも、ファミコンやスーパーファミコンのドット絵で、グラデーションっぽいのありますよね? あれは、 マシン技術で発生させたにじみではなく、作画する人が任意に選んだ中間色が打たれているわけです。まさに職人芸。 だから、ドット絵とは人間が色を管理しているかどうかを目安に考えるといいのです、というお話です。

中間色の自動発生に関しては、画像ファイルの圧縮技術も関係していると思います。 jpeg とか png とかね。 写真を拡大するとドット単位で見れると思いますが、白いドットの隣に黒いドットや赤いドットがいることはあり得ません。 白→白っぽい灰色→もう少し暗い灰色→暗めの灰色→黒、みたいに必ずグラデーションを形成しているはずです。 隣の点と点はある程度似た色になるわけです。 これを利用してデータを圧縮しているのだと思われます。 この辺も考え出すと、色々と、面白いかもしれませんな。

2017年4月17日月曜日

Google 自動翻訳能力。奴は賢者か愚者なのか?

英語力が達者ではない我々が、英文を作成する際にとても役に立つのが自動翻訳機能です。 昔より、ずっと精度が向上したように思えますが、人間が翻訳する場合は前後の文脈を考慮しますし、 二言語の間にある文化的な違いも意識することでしょう。 ミヒャエル・エンデやトールキン、J・K・ローリング先生などのファンタジー作品が世界的に読まれているのも、 ファンタジーゆえにトラディショナルな文化的背景から一定の距離があることが原因かもしれません。 シェイクスピアの翻訳なら当時のヨーロッパ文化に詳しくなければ作業などできませんが、 「指輪物語」なら世界観自体をトールキン先生が作っているので、欧米文化に詳しくなくても翻訳しやすいのかも?しれません。

赤いきつねと緑のたぬき
否!
「紅の豚」問題を説明する

①私は昨日「紅の豚」という映画を観た。

②I saw a movie called "Red Swine" yesterday.

③私は昨日 "赤い豚"と呼ばれる映画を見た。

④I saw a movie called "red pig" yesterday.

⑤私は昨日 "赤い豚"と呼ばれる映画を見た。

自動翻訳で気を付けなくてはならないのは、不可逆性についてです。 上の例では英訳、和訳を繰り返しても変化しない安定型に達するのは第4工程(④)に達したときです。 このとき、はじめて前と後ろ、つまりは元となる日本語と和訳後の日本語が同一になります。

気を付けてほしいのは「紅」と「赤」(ともに red )。 「観た」と「見た」(ともに see )。 'swine' と 'pig (ともに豚)。 このあたりが訳を繰り返すうちにオリジナルから崩れていきます。 よく日本語の方が言葉が繊細でバリエーションが多いと言われますが(色味は特に)、 例えば家畜を表す言葉は英語の方が細かかったりします。 牛革を表す言葉なんかは、カーフ、キップ、ステア、カウ、ブル・ハイドなど多様性があります。

I watched a movie "Porco Rosso" on DVD.

私はDVDで映画「ポルコ・ロッソ」を見ました。(「ポルコ・ロッソ」は「紅の豚」の英語タイトル)

①を正確に訳せばこのようになるかと思います。なぜ、 on DVD をわざわざ付けたのかというと、 なかったら下記のようなループになるからです。

I watched a movie "Porco Rosso".

私は映画「ポルコ・ロッソ」を見ました。

I saw the movie "Porco Rosso".

watch が see に代わってしまいます。watch だとテレビ画面を(意識して)見る。 see だと風景や映画スクリーンのような大きな対象を見る。 と、いう使い分けがされているらしいのですが、「見る」に対応するのが "see" なので、上記のようになるのです。 しかし、自動翻訳も賢いので on DVD が付いている場合は変わってきます。

I watched a movie "Porco Rosso" on DVD.

私はDVDで映画「ポルコ・ロッソ」を見ました。

I watched a movie "Porco Rosso" on DVD.

日本語に、「DVDで」という状況説明が付いていると訳語として watch が選択されます。 上記の文章は、英語→日本語→英語を繰り返しても元通りに復元できる可逆的センテンスであると定義可能です。 可能な範囲でこれを目指すのが理想の翻訳です。 日本語を英語に自動翻訳させる場合は、自動翻訳を意識した日本語に作り替えてから翻訳させるのがよいでしょう。 以下は「ダンジョジョの奇妙な一本道」のプレイストアにおける英文を自動翻訳で和訳したものです。

このゲームは剣、メイス、シールドに基づいた戦術ゲームの1つです。 このゲームはオンラインである必要はありません。 3Dではない手描きのピクセルアートはあなたの冒険を刺激します。

人々はレベルを上げるために苦しんでいます。 技能のために人々は悲しいです。 人々は訓練を望んでいない。

あなたは人権を持っています。あなたはパーティーを編成します。敵を倒すために。ダンジョンには上司と頭下がいる。モンスターは激しく狡猾です。適切な戦術を選択することで、当事者に勝利を導かなければなりません。 ステージの1つは5分で可能なキャプチャであり、突然中断することもできます。いつでもどこでも遊ぶことができます。 徐々に戦いは重症度を高めることになります。しかし、あなたの経験は深さを増やすだろう。あきらめないなら、優秀な指揮官になるでしょう。 私はあなたの業績を祈ります。 新しい伝説が始まります。

It will begin new legends.

新しい伝説が始まります。

英語で厄介なのは「時制」と「複数形」でしょうね。 しかし、最近はインターネットで英語コラムの優れたものが多数ありますので、いい時代になったものですね。 例えば
DMM英会話blog 簡単なコツがあった!可算名詞と不可算名詞を見分ける方法とは?
以上です、ナイスデー。

2017年4月13日木曜日

無視できない、ブラジルとインド

2017年2月、ブラジル:58、インド:17。
2017年3月、ブラジル:226、インド:165。
これは、某アプリのプレイストア月間訪問者数です。 今回の「ダンジョジョの奇妙な一本道」は、ヨーロッパが壊滅状態なのですが、 中東、東アジア、インド、ブラジルあたりが割と貢献してくれています。

アプリのローカライズ

多言語対応の処置をローカライズなどといいます。 私は基本的に、デフォルトを英語で作って、日本語のみローカライズ対象にするというやり方をしています。 言語設定が日本語であれば、Japanese 仕様の文字使いとなりますが、日本語以外のお客様の場合は English-US です。 アプリ本編とプレイストアで同様のやり方をしていましたが、プレイストアに限っては多言語対応ができないかな? とも思ったわけです。 まあ、例えばポルトガル語対応として上のようなスクショに差し替えるというコトです。

ここからは、かなり推測ばかりのアテにならない話ですが、私はこう考えています。 日本でも「ポケモンGO」の世界的ヒットに感銘を受け、海外市場への切り込みを強く考えるようになりました。 そこで、海外といえばアメリカなんですが、じゃあアメリカ以外の市場…、 となると韓国とか台湾なんですね。 まだまだブラジルやインドで儲けてやろうという企業は少ないはずです。 一方でブラジル人は、プレイストアでゲームなんぞを探しているときに、ポルトガル語で説明されたアプリが少ないことに憤りを感じます。 そんな中、飛び込んできた "Vamos começar a aventura em masmorras" に、心を打たれます。 そのまま勢いよくインストールしてくれたら儲けものです。

言語以外でのローカライズ

インドという国は非常に言語的に複雑です。公用語はヒンディー語と英語ですが、様々な言語、アッサム、ボド、グジャラート、カシミール…、入り乱れていますが、インドがIT大国だという側面を考えれば英語一本でOKでしょう。19世紀中盤にはイギリスのインド支配は完成し、第二次大戦のときはチャンドラ・ボースが日本軍と共闘して…というくらいですから、少なくとも100年は植民地となっています。この辺の歴史もインド国民の言語形成に多大な影響を与えていそうです。

関係ないですけど、フィリピンパブに行ったら、店の女の子は日本の曲をカラオケしてもしら~としていますが、 ジェームスブラウンの "Living in America" とかやったら結構、ノリノリです。 関係なくもないんですけどね、フィリピンにもそういう歴史があるからこそ、そうなのですから…。

上の画像なんて凄くインドっぽくないですか? と、いうのもカーリーという神様の絵だからです。 シヴァの奥様であり、とにかく強くて残虐。別件で強さの象徴としての絵を探していたら、カーリー様に行き着いたというわけです。 カーリーはパールバティの変身した姿とも言われていますが、それはともかく、 カーリーとかパールバティってパズドラとかモンストにもでてくるんですね、サザンアイズにパールバティがいるのは知っていたけど。 まあビックリマンの頃からゼウスとかヘラクレスとかのギリシャ神話系の神様はよく登場していましたが、 それじゃあまりにもマンネリかなあ、ということでヒンドゥー教に手を出したみたいな感じですかね。 あと、ゲームでよく出てくるのが北欧神話ですね。オーディンとかフェンリルとか…。ラグナロク!ヨルムンガンド!って言葉の響きがカッコいいっす。 009の北欧神話編は凄く印象に残っているなあ…。原初の巨人ユーミルね。 ユーミル(ユミル)といえば進撃の巨人ですが、みんな好きですね、神話をいじくるのが。

話がおもいっきりそれましたが、ローカライズは何も言語だけの話じゃないぜ、ってことです。 インド向けならインド人にうけそうなスクショをわざわざ選んで貼り付ける、そういう悪知恵が必要なんじゃないかと思ったり→←思わなかったり…。