2015年3月17日火曜日

迷路とガチャとアカギ

迷路に迷うっていうのはゲーム的にどうなんだろうか? そりゃあ、迷い道(路)って描いて迷路なんだから 迷って当然なんですけど。wiz みたいに3Dタイプのダンジョンだったら割と堂々と迷ったと言ってもいい…、 だが、2Dタイプの上から見下ろし系だったら迷うのは何となく恥ずかしい。そんな気がします。

でも実際けっこう難しくもないようなマップでも迷いますけどね。 これなんか「奴は四天王の中で最も金持ち」というアプリのラスダン的タワー、ギガパゴスの 7号目です。 何でこんなのわざわざ作ったかというと記憶が曖昧なのですが、 7号目には隠れショップみたいなのがあってそこに強力な技を売っているとか何とかを読んで…。 で、しかし、いくら探しても見つからなかったので作ったわけですね。 結局見つからなかったけど。 ちなみに8号目はこれの2倍、10x10の巨大エリアです。 8号目は本当に迷って、チラシの裏に手書きでマップを描きました。

↑↑:で、7号目の地図を見てもらえばわかるように、そんなに複雑ではありません。 巨大企業のビルという設定なのがそれほど違和感がない作りです。 まあ実際にこういう作りのビルがあったら動線が悪すぎる、と不平不満が大挙して押し寄せるでしょうが。 が、しかし、敵を惑わす迷宮、侵入を阻む障壁、と考えたら難易度は低い構造である。 しかしながら、これが2倍の大きさになったら、完全にお手上げ状態でしたからね、我ながら方向感覚がダメですね。 実際には一画面に収まる範囲は狭いし、雑魚との戦闘をチョイチョイ挟むし、隠し通路なんていうものもあるから、 マップを把握しようにも記憶はぶつ切り、断片的となり覚えにくいったらありゃしない。 これはどんなゲームでもそうなんですが。 スマホでの操作を考えた場合、「奴は四天王の中で最も金持ち」の移動方式は一つの完成系といってもいいシステムです。 仮想十字キーを無理やり画面内に表示させるタイプのゲームもありますが、 操作しにくいし、画面見にくいし、指も疲れるし、タッチパッドに適したスタイルだとは思えませんね。 その点、タッチした場所に自動移動するシステムは素晴らしい。 偶然にも私も全く同じ答えにたどり着きました。 ちょっと下で宣伝してますのでよろしかったらダウンロードしてください。完全無料、無課金アプリです。

2015年6月 追記
↑↑:部屋を掃除していたら8合目地図を描いたチラシの裏を発見したので、それを清書したものです。 清書が面倒だったので完全な地図ではありませんが、スタートからゴールまでのルートはバッチリわかります。 これでもう迷わないぜ。 9号目以降も迷路は続きますが、迷路としての難易度は8号目が最大級なのでご安心を。 10x10はスマホゲームとしてはちょっと広すぎなんですけどね。 10x10だと総面積が100エリアにも達してしまう。 7x7が49エリアですから、実にそれの2倍もあるということに!

7x7の迷路、それもランダム生成ダンジョンにこだわったRPG、 そういうのってないかなあ?
あるんです。
「*男男女・ダンジョン物語*」

ゲーム制作側の考えとしては、迷路にする意味はあるんですけどね。 例えば引っ越したばかりのとき、近所に何があるか把握していないわけです。 まずメインルートを開拓して、そこから徐々に枝分かれしながら探索範囲を広げていきます。 あるとき、「あ、こんな近くにこんな店が!」というのを発見すると、 (この近辺にはまだ…あるんじゃないか…)みたいな気分になって希望に胸が膨らみます。 なんだかワクワクしてくる瞬間です。 こういう感覚は特に子供の時に顕著ですが、大人になってからも同様の経験をされた方は多いのではないでしょうか? そう、こういう感じの 「何かあるかもしれない」と感じさせる役割としての迷路でもある。 底を感じさせないことによって、プレイヤーのイメージにうったえかけるというか…。 でも、これが下手をすると「何かあるのか無いのかハッキリしてくれないとイライラするんですけど。何も無いのに探しまわっていたら時間の無駄なんですけど」 というマイナス意見に転化しかねない怖さもある。

ある程度迷った時点で、もうそのフロアの迷路は役目を終えるべきなのかもしれない。 例えば同一のフロアに1時間以上滞在したら出口へのヒントを出しまくるとか。 「奴は四天王の中で最も金持ち」の場合はフロア内に人物がたくさんいて、会話できるようになっているので、 その人々に出口に関する情報を喋らせる手法も面白いかも。 拙作「*男男女・ダンジョン物語*」では、2~6個ほどある宝箱の一つに地図が入っています。 また、近接する宝箱の方向を示すコンパスも標準装備しています。 さらに歩いたところはパン屑みたいなものを勝手に落としていくので、未踏破部分が分かりやすくなっています。 何の手がかりも無しに迷わせると、正直つらい。 丁寧かつバリエーション豊富なマップチップを用意していれば、景色を見て回る楽しさもあると思いますが、作り手目線だとそれもなかなか大変な労力を伴います。

ただ真っ直ぐな道を進むだけじゃつまらないから、右と左に分岐している地点がある。 これが言ってみれば迷路だし、ゲーム性でもあると思います。 だけどもプレイヤーはゲームに面倒なことを求めては~~~、いない。 「選択肢が無い」のも嫌われるし、「誰がやっても同じ」なのも嫌われるし、「めんどくせえ」のも嫌われる。 これを迷路的なもの(マップ)の量的・質的な調整だけで行うのには限界があるんじゃないか? もっといい方法として、例えば「ガチャ」が生み出されたのでは? 的な考えも妥当だと思います。 あるいは「ガチャ」のシステムを作ったあとで、「選択肢があり」「運によるランダム性があり」「手間もかからない」という優秀な点を確認したのだろうか?

ある意味ガチャっていうのは、「時間と記憶能力を駆使して探索する→有用なアイテムを発見する(あるいは何も発見できない)」という流れを 「リアルマネーで権利を得る→有用なアイテムを得る(あるいは無能なゴミを得る)」に置き換えたわけです。 手段が時間的なものからおカネに置き換わったものの、結果に関しては似ているんですよね。 得るかもしれないし、得ないかもしれない。 そんなに面倒なら、おカネで解決したら? という甘い誘惑。

「運によるランダム性があり」「手間もかからない」というのはガチャの特徴であると誰もが認めるところでしょうが、 「選択肢があり」に関しては説明が必要かもしれません。 ダンジョン探索における選択肢とは「右に進む」or「左に進む」もしくは、「探索を続行する」or「余裕のあるうちに帰還する」という感じの選択です。ガチャの場合は次元がまったく違う。つまり、「有料のクジ引きをする」「有料のクジ引きをしない」という選択です。 ガチャをするのもしないのもプレイヤーの自由意思だということです。 これが「ガチャをしなければならない」だと「選択肢が無い」ということになってプレイヤーから嫌われます。 北風ではなく、太陽のように旅人の服を脱がさないとスマートなやり方とは言えないのです。

福本伸行氏による漫画「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」では、アカギが狂人・強運の富豪である鷲頭と麻雀対決する際に、 事前に打ち合わせでルールを決めています。 漫画だけに超高レートな賭け勝負となるのですが、資本を持ち合わせていないアカギは己の血液を賭けることになります。 つまり、点を失うごとに血を抜くわけですから、負けがこむと死んでしまいます、敗北です(トータルでいくら勝っていようとも)。 このときに半チャン2回ごとに勝負を継続するか終了するかの判断・決定を鷲頭が行ってもいいという追加ルールが盛り込まれます。 アカギ側の付添人のオッサン連中は「そんなことあるか、途中で逃げられるじゃねえか」と不満たらたらですが、アカギは 「資金を失えば奴は必ず取り戻そうとする。このとき奴自身の意思で続行。続行すると決めるっていうのがポイント、それでますます奴は深みにハマる。あがけばあがくほど抜け出せない泥土…。こちらにとってむしろ好都合なんだよ安岡さん」みたいなことを言います。 う~ん、なるほどパチンコ負けたら帰れない、みたいな心理ですね。 株でよく損切りが重要だと言われますが、損を確定させるということができない、できないんですよね。 不利な状況は百も承知。損切りを先延ばしにすればするほどダメージが大きくなると頭では分かっているけど、 「分からない、勝負は!!!ラスト1秒まで諦めるわけにはいかない。最後の最後に神風が吹くかもしれない」っていう熱血スポ根思考になってしまいます。まさにアカギのいう通りですね。 スポーツなら美談ですむかもしれないが、政府や軍部や博徒が陥ったら絶対にダメな思考。地獄への切符に他ならない。魔の思考回路…。

こう考えるとガチャっていうのはとっても凄いビジネスアイデアだったわけですね。 ああ、元々は迷路の話でしたっけか…。 私の頭が迷宮ですな。

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