2015年10月8日木曜日

モンティホール問題Z 最強の司会者

今回は漫画メインです。 前回の記事を読んでからの方が、楽しめるかと思います。

とりあえず、設定の説明ね。 主人公は一般市民のチャレンジャーとして、テレビ番組にゲスト出演しています。 番組の中の企画の一つで、「3つのドアから高級車を選べ」があります。 主人公は目の前にある3つのドアから好きなものを選ぶことができる。カーテンが開いた向こうに 自動車が置いてあればラッキー。高級車をゲットです。 単純な運任せのゲームだと思いますよね? ところが…

さあ、ここでワンポイント来ましたね。 なんと司会者のモンティは主人公が選んでいない残り2つのうち、1つのドアをオープンしました。 主人公は「間違いない、いまモンティがハズしたのは必然!」と考えていますが、 そりゃそうですよね。このタイミングでモンティが正解のドアをオープンしてしまったら、 (みんなが思っているよりも)ずっと早いタイミングでのチャレンジ失敗が確定します。 探偵が真犯人の推理を披露している途中に、誰かが横から「つまり犯人は○○だな」って言ったときには、盛り下がること確実です。 番組を見ている視聴者は、あっけに取られ、番組のプロデューサーは「何やっているモンティ! 番組を潰す気か!」と、激怒することでしょう。

ちなみにモンティが「どれがハズレか知った上で、ハズレのドアを選ぶ」というのは モンティホール問題の大前提です。 この部分を正しく認識できるかどうかが非常に重要です。 漫画なので色々と脚色していますが、どうかご容赦ください。

なぜ、2番から1番のドアへ変更した方が正解率が2/3にアップするのかは、 前回の記事を読んで納得してもらうとして、 今回、メインの議題にしたいのは「司会者モンティがチャレンジャーをペテンにかけることは可能なのか?」です。

漫画では主人公は「何がベストな解なのか?」を導き出したのに、それを実行できなかった 心の弱さを描いていますが、まあ理屈どおりにドアチェンジするのが最適解です。 最適解を選べば、2/3という高確率で正解できますし、 司会者モンティがどんな甘言を放ってこようが、どんな態度を見せてこようが、徹底的に無視して理論通りの選択をすればいいだけの話です。 司会者モンティはマリリン・ボス・サバント女史の導いたロジックに完全敗北するしかないのです。

… … …

…本当にそうだろうか?

だから、組み合わせの総当たりでも、確率論の計算でも、コンピューターを用いたシミュレーションでも 実証されているじゃないか。ドアチェンジで正解率2/3だっつうの!

いや、やはりダメだ。 あなたはモンティの本当の恐ろしさを分かっていない。

分からない奴だな。何年も前に決着の着いた話だぜ。

あらゆる事象、あらゆる選択が無作為に行われているのか検証する必要がある。

そんなことは分かっているぜ。

じゃあ、聞こう。最初に3つあるドアから1つを選んだとき、 どうやって選びましたか?

どうって? ただの山勘ですけど、何か?

要するにサイコロを振って出目で決めたとか、コンピューターの疑似乱数プログラムを利用してランダムに決めたとか、 そういうことではないんですね?

まあ、そこまではしていないですよ。だけど、テキトーに気分で選んだだけですよ。

あなた、2番を最初に選びましたよね? 2番とは中央のドアだ。 その10分前、あなた番組の映像を見ましたよね。 大型バスにトラックがぶつかるやつと、海上のボートに突然サメが襲いかかってくるやつ。

見ましたけど? クイズコーナーの映像だから。

大型バスには左側からトラックがぶつかりました。ボートを襲ったサメも同じく左側から現れました。 左側は怖い、左側は不吉。そんな印象を植え付けられても不思議はない。 あなた、無意識のうちに左側、つまり1番のドアですね。1番を避けるように誘導されていたんじゃないですか? 2番を選んだのは偶然だとしても、2番か3番のどちらかを選ぶように番組サイドは仕向けてきたんじゃないでしょうか?

…、おそるべし、モンティホール。 もし、番組側の巧みな誘導によってチャレンジャーが3つのドアから正解を選ぶ確率が1/2に引き上げられたとしたら…。 この場合、ドアチェンジしてもしなくても正解率は1/2、つまり、理論は破綻してしまう! そこまで考える必要があるのかって、思うけど。

2015年10月7日水曜日

モンティホール問題 1月3日じゃねえ、3分の1だ

モンティホール問題。 全米を震撼させた、確率に関するトピックスです。

テレビのクイズ番組を収録中。あなたはゲストです。 番組の最後に恒例のビッグチャンスがやって来ます。 3つの扉から正解を選べばみごと高級車をゲット。ハズレの扉を選んだ場合は山羊(ヤギ)さんとご対面。 あなたの希望と共に高級車獲得の契約書を食べられてしまいます。 あなたが扉を選んだあとに、司会者モンティは「ハズレ」の扉を一つ開けてくれます。 「ハズレ」を開けるわけですから、まだあなたが選んだ扉が「当たり」か「ハズレ」かは分かりません。 で、このときモンティさんはあなたに問いかけます。 「あなたは今、もう一つのドアに変えてもいいんですよ。どうしますか?」
モンティが開けていない残り2つのドアは「当たり」と「ハズレ」が一つずつ。これは間違いありません。 さあ、あなたはドアを変えた方がいい? 変えない方がいい? どっちを選ぼうが確率的には一緒なの? それとも違う? と、いうお話です。 もう一度繰り返します。 モンティが開けていない残り2つのドアは「当たり」と「ハズレ」が一つずつ。これは間違いありません。

あなたが、正解のドアを選んでいる場合、 残りのドアは「ハズレ」&「ハズレ」ですから、 司会者がどちらを選ぼうと関係ありません。 仮にあなたが司会者だったとして、どちらを選んだっていいんです。 ある程度ランダムに選ぶのであればね。

あなたが、不正解のドアを選んでいる場合、 残りのドアは「当たり」&「ハズレ」です。 司会者は二つをランダムに、山勘で選ぶのでしょうか? 違いますね。 ルール上、司会者は「当たり」と「ハズレ」を知っていて 「ハズレ」の方を選びます。 仮にあなたが司会者だったとしたら、何も考えずに「ハズレ」と知っている方を機械的に開けるだけです。 だから、あなたが不正解のドアを選んでいる場合、 司会者が開けなかったドア(もちろん、あなたも選んでいない)は必然的に「当たり」となります。 あなたが「ハズレ」を選び、司会者が「ハズレ」を開けたのですから、 残る一つのドアは絶対に「当たり」になりますよね。これは必然。

司会者はすごい権限を持ち、ゲストであるあなたを「もてあそんでいる」ような印象を与えますが、ここに錯誤があります。 司会者はあなたが選んでいないドアのうち、二つに一つを開けます(それはハズレなわけだが)。 つまり、司会者がどのドアを開けるか? その決定にはあなたの行動が大きく干渉します。 あなたが右のドアを選んだ時点で、司会者が開けられるのは「中」「左」に限定されますからね。 それプラス、「ハズレ」のドアを選ぶことしか許されません。 司会者は場の状況に支配されており、自由はほとんどない、というのがポイントになりそうです。 司会者は場を支配しているように見えて、その実は逆だというのが、「モンティホール問題が心理トリック」と言われる由縁ではないでしょうか?

これで状況の整理がつきました。 あなたが正解のドア(高級車)を選んだ場合は、「司会者も選ばなかった第3のドアがハズレ」となります。 あなたが不正解のドア(山羊)を選んだ場合は、「司会者も選ばなかった第3のドアが正解」となります。 言いかえると、あなたが不正解のドアを選んだ場合、「あなたも司会者も選ばなかった第3のドアが正解」となる。 これです。

では、あなたが正解のドアを選ぶ確率はどうでしょうか? 完全なノーヒント。 答えをこっそり教えてくれるスパイもいないし、「右」「右」「中」「左」「右」「右」「中」「左」みたいな法則性もありません。 主催者側としてはサイコロを振って(1、2なら左 3、4なら中 5、6なら右ということで)3つのドアのどれを正解にするのか、運任せで決めていることにします。 と、なれば3つのドアから山勘で選ぶしかありません。 正解率は33.3%(正確には1/3)となります。 つまり、ハズレを選ぶ可能性の方が高いということです、圧倒的に。 異論はないですよね?

ピ、ピ、ピ、ピーンときたかもしれないですね? もし、あなたが正解のドアを選ぶ確率が1/2で五分五分であれば、 「あなたがドアを選び直す必要はありません」。 だって、50%の確率で当たるわけですからね。 しかし、現実にはあなたが正解のドアを選ぶ確率は1/3です。 だから、
あなたが不正解のドア(山羊)を選んだ場合は、「司会者も選ばなかった第3のドアが正解」となります。 これが生きてきます。 あなたは2/3で不正解のドアを選ぶのですから、「司会者も選ばなかった第3のドアが正解」である確率が、(同じく)2/3となります。

最後に別の言い方をしましょう。
「あなたが正解を選んだという自信があるのならドアを変えなければよい」
「あなたが自らの答えに自信がないのならドアを変えればよい」
もし、何らかの理由で自らの答えが正しい。その確率は50%以上! と、思うのなら、答えを変えない方がよいのです。 実生活では何の役にも立たないと言われるモンティホール問題ですが、こんな風に考えると生き様っぽくて素敵すぎ。 じ、実は人生の役にめっちゃ役立つような気もしてきますね。
自信があるのなら
自信があるのなら変えなくて
自信があるのなら変えなくていいんですよ。
自信っていうのは「100%うまくいく」ではないんです。そんなの出来レースですよ。ノーリスクですよ。 危ない橋を渡らずに何かを得られるものか。 自信っていうのは「5割か6割…、とにかく半分以上!」、これが自信ですよね。